2010年10月1日金曜日

恐らく、ニーチェは間違っている。

恐らく、ニーチェは間違っている。イエス・キリスト処刑後、わずか30年余りでローマ帝国の暴君ネロはキリスト教徒が美徳として飾り立てた弱者の粉飾物のために偉大な哲学的建造物であるギリシャ・ローマ神話の神々とともに滅びてしまった。第二次大戦後、軍事技術が先端技術を推し進めると言われ、原水爆開発、宇宙開発に鎬を削ったが、弱者の国の総理大臣の池田勇人がフランスを訪問してドゴール大統領と会見後、トランジスタ・ラジオのセールスマンと揶揄されても平和技術が先端技術を推し進めるようになった。農村のピックアップ・トラックであるトヨタ・ハイラックスがアフリカのチャドの内戦で政府軍に使用されて荷台に対戦車ミサイルを載せて、反政府軍を支援していたリビアのカダフィ大佐の戦車隊を迎え撃つことに成功した。その後カダフィ大佐は核武装をあきらめることになる。米国の軍事技術は日本の平和技術に敗れ去ってはいないが互角の戦いだと思う。アップルのiPODは軍事技術ではないが、ソニーのウォークマンが抜き返す可能性がある。美徳として飾り立てた蝶の舞が蜂のように強者の鎧の隙間を刺すことも多い。中国を統一した強大な隋は高句麗遠征で簡単に敗れ去った。小さな昆虫でも巨大な恐竜でも生き残るのは費用対効果の見極めと小沢一郎氏が青春時代に見た映画「山猫」の中のせりふ、今までと変わらず生き残るためには私たちは変わらなければならないということです。

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