2010年8月17日火曜日

資本、ネーション、国家

国家は社会構成体を政治的価値として空間的に支える構造であり、ネーションは民族を歴史伝統的価値として時間的に支える構造であるとすると、資本は商品あるいは生活必需品の交換により蓄積される社会構成体の活動であり、巨大化した銀行資本や産業資本が経済的価値として国家やネーションと同様に構造のように見えたとしてもそれはあくまで活動であり、資本、ネーション、国家を三位一体と考えることは困難です。むしろ資本がネーションや国家を利用したり、あるいは国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)に資本家が協力したように国家、ネーションが資本を利用するのだと思われます。マルクスの剰余価値説において資本が労働による生産価値を収奪しているように見えたとしてもそれは交換により社会構成体の全体としての有益性が増大していて、信長の楽市、楽座のように経済が進展します。問題は資本が常に労働による生産価値を過小評価してしまうことです。柄谷行人氏の生産様式ではなく、「交換様式」から世界史を見るという視点であれば、資本は生産財蓄積と独占というよりも交換様式そのものであり、交換様式の多様化は資本の多様化であり、その融通性と分散化によって、世界共和国的な国家やネーションの枠組みを超えた構造に進展する可能性があると思います。

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