ギリシャ文明をつくったのはトロイア戦争であり、エジプト文明、メソポタミヤ文明、インド文明、中国文明をつくったのは王権による統合戦争であった。日本の明治維新においても四国連合艦隊との戦争により富国強兵政策と文明開化が強力に推し進められた。明治維新後77年で第二次世界大戦で敗北し、平和大国になる決意してから66年間で日本は経済大国になり海外純資産で世界一を17年間維持し続けている。
週間プレイボーイが日刊ゲンダイに続いて、最高裁事務総局による検察審査会のイカサマを指摘したのは戦争が文明をつくり維持すると考える産軍複合体に対立する産平複合体(産業平和複合体)からの攻撃だと思われる。盾の会をつくった三島由紀夫もその作品「憂国」において女性のヌードによって平和を表現している。
この産平複合体は韓国、台湾、中国などの国に広がり、やがて世界中に広がると思われる。
2012年2月9日木曜日
2011年10月14日金曜日
推認という熟語の意味
平成23年9月26日、陸山会事件の1審において、東京地方裁判所の登石郁郎裁判長により、推認により有罪判決が下されました。
しかし、推認という熟語そのものが意味不明であり、判決は推定無罪の原則を無視するものであるため、登石郁郎裁判長の罷免を要求します。
推認という熟語は漢和辞典にありません。日本最大の漢和辞典「大漢和辞典」には推がつく二文字熟語は推定、推測、推量、推察、推任など192個ありますが、推認は存在しません。
国語辞典の広辞苑にも最新の第6版(2008年1月20日)に推認は存在しません。
また日本国語大辞典においても第2版(2001年7月20日)に推認は存在しません。
そして大辞林においても初版(1988年11月3日)には推認は存在しません。
ところが大辞林においては第2版(1995年11月3日)から推認が存在します。
従って、推認という熟語は1988年11月3日から1995年11月3日の間に何らかの目的のために造語されたと考えられます。
大辞林第3版(2006年10月27日)にも推認は記載されていて、その意味は「すでにわかっているものをもとに、推測し、認定すること」となっています。
これでは推定と同じと思えますが、推定の意味は「はっきりとわからないことをいろいろな根拠をもとにあれこれ考え決めること」となっています。
このように記述しても推認と推定の意味の差はありませんが、推認と推定の意味が逆転しているような印象も受けます。
また三省堂国語辞典(2008年3月10日版)にも推認は存在し、その意味は「すでにわかっていることをもとにして推測、判断すること」となっています。この記述にも推定と推認の意味の差はありませんが、どこかで推認により有罪が判決されたことがあるという可能性が感じられます。
法律用語辞典にも推認は存在しませんが、コンパクト法律用語辞典第6版(2011年3月25日)に推定の説明として「ある事実から他の事実(推定事実)を推認すること」と記載されています。これでは推定事実に至る認識過程として推認を想定しているように思えますが、認識の至るところは事実ではなくあくまで推定事実です。つまり推認は推定と同様に事実を確定できるものではありません。
和英辞典にも推認は存在しません。しかし、インターネットでの英語用例としてPresumption, Inferenceがありますが、これは推定と同じです。 推定にはEstimationの意味もありますので、判断の意味が加味されていると言えます。
漢和辞典に推認の熟語がないことは推という漢字と認という漢字を結び付けても意味のある熟語はできず、用例としても存在しないことを示しています。
敢えて、推の意味の「考えをおしすすめる」と認の意味の「じわじわとみさだめる」を結びつけて、推認を「考えをおしすすめてじわじわとみさだめる」にしても推定と明確な差はなく、推認は推定より判断の意味は少ないと思えるだけです。
結局、推認という熟語の存在理由はなく、意味不明な造語をもとに推定無罪の原則を無視して、推認により有罪の判決をした裁判官の責任は免れない。
しかし、推認という熟語そのものが意味不明であり、判決は推定無罪の原則を無視するものであるため、登石郁郎裁判長の罷免を要求します。
推認という熟語は漢和辞典にありません。日本最大の漢和辞典「大漢和辞典」には推がつく二文字熟語は推定、推測、推量、推察、推任など192個ありますが、推認は存在しません。
国語辞典の広辞苑にも最新の第6版(2008年1月20日)に推認は存在しません。
また日本国語大辞典においても第2版(2001年7月20日)に推認は存在しません。
そして大辞林においても初版(1988年11月3日)には推認は存在しません。
ところが大辞林においては第2版(1995年11月3日)から推認が存在します。
従って、推認という熟語は1988年11月3日から1995年11月3日の間に何らかの目的のために造語されたと考えられます。
大辞林第3版(2006年10月27日)にも推認は記載されていて、その意味は「すでにわかっているものをもとに、推測し、認定すること」となっています。
これでは推定と同じと思えますが、推定の意味は「はっきりとわからないことをいろいろな根拠をもとにあれこれ考え決めること」となっています。
このように記述しても推認と推定の意味の差はありませんが、推認と推定の意味が逆転しているような印象も受けます。
また三省堂国語辞典(2008年3月10日版)にも推認は存在し、その意味は「すでにわかっていることをもとにして推測、判断すること」となっています。この記述にも推定と推認の意味の差はありませんが、どこかで推認により有罪が判決されたことがあるという可能性が感じられます。
法律用語辞典にも推認は存在しませんが、コンパクト法律用語辞典第6版(2011年3月25日)に推定の説明として「ある事実から他の事実(推定事実)を推認すること」と記載されています。これでは推定事実に至る認識過程として推認を想定しているように思えますが、認識の至るところは事実ではなくあくまで推定事実です。つまり推認は推定と同様に事実を確定できるものではありません。
和英辞典にも推認は存在しません。しかし、インターネットでの英語用例としてPresumption, Inferenceがありますが、これは推定と同じです。 推定にはEstimationの意味もありますので、判断の意味が加味されていると言えます。
漢和辞典に推認の熟語がないことは推という漢字と認という漢字を結び付けても意味のある熟語はできず、用例としても存在しないことを示しています。
敢えて、推の意味の「考えをおしすすめる」と認の意味の「じわじわとみさだめる」を結びつけて、推認を「考えをおしすすめてじわじわとみさだめる」にしても推定と明確な差はなく、推認は推定より判断の意味は少ないと思えるだけです。
結局、推認という熟語の存在理由はなく、意味不明な造語をもとに推定無罪の原則を無視して、推認により有罪の判決をした裁判官の責任は免れない。
2011年4月25日月曜日
救国内閣
小沢一郎氏にぜひ震災・原発担当大臣になっていただきたいと思います。今、小沢一郎氏は民主党で党員資格停止になっているので、私がこのようなことを言うのは申し訳ないのですが、小沢一郎氏は国民新党に移籍されてはどうだろうかと思います。民主党と国民新党は連立与党ですので、国民新党の議員数が増えて民主党の議員数が減れば国民新党の大臣の数は増えて民主党の大臣の数は減ります。極端なことを言えば民主党から200人が国民新党に移籍すれば国民新党は衆院第一党となり内閣総理大臣は亀井静香氏になります。このまま震災・原発の対処を菅内閣にまかせるわけにはいきませんので、ご考慮いただきますようお願いいたします。救国内閣という意味でも国民新党という党名はふさわしいと思います。
2010年11月30日火曜日
愛と性と金
真理は
愛があれば性なくしても金は得られる
愛があれば金なくしても性は得られる
と女と男の認識が異なるということです。
性があれば金なくしても愛は得られる
性があれば愛なくしても金は得られる(仮の真理)
金があれば性なくしても愛は得られる
金があれば愛なくしても性は得られる(仮の真理)
などということは真理ではありません。
“皮肉に、ぶりっこに、揶揄に、インテリ女の直接罵倒に、なんという醜いことか。”
が発生するのは
性があれば金なくしても愛は得られる
金があれば性なくしても愛は得られる
ということの何らかの誤解ではないかと思われます。
愛は愛によってしか得られず
性は愛によってしか得られず(これを男はときどき金がなくてもと認識)
金は愛によってしか得られず(これを女はときどき性がなくてもと認識)
ということもまた真理です。
なお、すべての人間は受精卵のときには女性です。妊娠6週目にY染色体がある受精卵はテストステロンという男性ホルモンを大量に発生して精巣を含めて男性が作られます。その意味で聖書にある男性の肋骨から女性が作られたという記述は間違いであり、女性から男性が作られると言われています。そうすると性が超えられないのは愛も金も超えられないのと同じことだと思われます。
愛があれば性なくしても金は得られる
愛があれば金なくしても性は得られる
と女と男の認識が異なるということです。
性があれば金なくしても愛は得られる
性があれば愛なくしても金は得られる(仮の真理)
金があれば性なくしても愛は得られる
金があれば愛なくしても性は得られる(仮の真理)
などということは真理ではありません。
“皮肉に、ぶりっこに、揶揄に、インテリ女の直接罵倒に、なんという醜いことか。”
が発生するのは
性があれば金なくしても愛は得られる
金があれば性なくしても愛は得られる
ということの何らかの誤解ではないかと思われます。
愛は愛によってしか得られず
性は愛によってしか得られず(これを男はときどき金がなくてもと認識)
金は愛によってしか得られず(これを女はときどき性がなくてもと認識)
ということもまた真理です。
なお、すべての人間は受精卵のときには女性です。妊娠6週目にY染色体がある受精卵はテストステロンという男性ホルモンを大量に発生して精巣を含めて男性が作られます。その意味で聖書にある男性の肋骨から女性が作られたという記述は間違いであり、女性から男性が作られると言われています。そうすると性が超えられないのは愛も金も超えられないのと同じことだと思われます。
女にはかなりうんざりさせられる?
うんざりとは物事に飽きて、つくづくいやになるさまだそうですので、とてもうんざりしてはいられないような愛の真理についてお話しましょう。
それは愛についての認識は女性と男性で全く異なるという真理です。
二人の男女が出会って愛が生まれるわけですが、女性は性的関係は男性からの対価が得られると思っています。対価は狩猟採集時代であれば、鳥肉や鹿肉であり、歴史時代であればお金です。一方男性は性的関係は対価を支払わなければならないと感じています。このことがProstitutionが最初の職業と言われる由縁でしょう。Prostitutionは言葉としては敬意が払われているようにも思えます。似た言葉でInstitution、Constitutionなどは立派な言葉です。stitutionは立つという意味らしくProstitutionは前に立つが語源のようです。売春婦にはa prostitute; a whore; a streetwalkerなどの言葉があるようですが、whoreは軽蔑的な意味だそうです。
話が逸れましたが、愛についての真理はこれからです。愛がない状態から愛がある状態に移行して男女が性的関係を持ち始めると愛の概念が生まれます。男性は愛があれば、お金あるいは鹿肉なしでも性的関係が得られると思っていて、女性は愛があれば、性的関係なしでも鹿肉あるいはお金が得られると思っていることが愛の真理です。どちらが良いとも言えず、お互いに自分勝手としか言えないような真理です。
それは愛についての認識は女性と男性で全く異なるという真理です。
二人の男女が出会って愛が生まれるわけですが、女性は性的関係は男性からの対価が得られると思っています。対価は狩猟採集時代であれば、鳥肉や鹿肉であり、歴史時代であればお金です。一方男性は性的関係は対価を支払わなければならないと感じています。このことがProstitutionが最初の職業と言われる由縁でしょう。Prostitutionは言葉としては敬意が払われているようにも思えます。似た言葉でInstitution、Constitutionなどは立派な言葉です。stitutionは立つという意味らしくProstitutionは前に立つが語源のようです。売春婦にはa prostitute; a whore; a streetwalkerなどの言葉があるようですが、whoreは軽蔑的な意味だそうです。
話が逸れましたが、愛についての真理はこれからです。愛がない状態から愛がある状態に移行して男女が性的関係を持ち始めると愛の概念が生まれます。男性は愛があれば、お金あるいは鹿肉なしでも性的関係が得られると思っていて、女性は愛があれば、性的関係なしでも鹿肉あるいはお金が得られると思っていることが愛の真理です。どちらが良いとも言えず、お互いに自分勝手としか言えないような真理です。
2010年10月4日月曜日
軍事技術と植民地の消滅
核武装の費用対効果は悪過ぎる。また最近の先端技術による軍事技術の費用対効果も悪過ぎる。かっては軍事技術によって戦争に勝利することは勝者にとって大きな利益であり、敗者にとって大きな損失であった。理由は勝者は敗者から領土、賠償金、権益を獲得し、植民地とすることもできた。しかし第二次世界大戦で最も遅れて参入した殖民帝国日本を降伏させた後、先進の殖民帝国である連合国は日本をその植民地主義によって断罪した。東京裁判でインドのパール判事は日本を断罪するのであれば連合国も同罪であると主張し、日本の有罪に反対した。その後世界中のすべての植民地はあいついで独立した。そしてソ連と米国は共産主義対自由主義として軍事的に対立したが、その軍事技術の費用対効果が悪過ぎたためにまずソ連が解体した。そして米国も衰退した。1ドル、360円だったのが、今は100円以下にまで下がってしました。これは平和技術が軍事技術に比べて有効であることを示している。つまり植民地をつくりその収奪ができない現代では軍事技術は費用対効果が悪過ぎて自国民までも養えなくなる。ローマ帝国の執政官カトーはカルタゴを攻撃するためにカルタゴを植民地にすれば美味なイチジクが手に入ると演説し戦争の目的は明確に植民地の獲得であった。中国の鄧小平は日本の経済と技術力に圧倒されて、「経済がほかの一切を圧倒する」という政策を打ち出して日本に追随した。韓国、台湾、マレーシアなどは日本の経済優先にそれ以前から追随して成功していた。ロシアのプーチン首相は民生技術(平和技術)では中国と競争しない、軍事技術を中国に売ると言って、未だに軍事技術の優先をやめないので、国の経営が危うくなると思われる。核武装が費用対効果で有効なのは恐竜絶滅の原因とされる巨大彗星衝突と同じような彗星が再び地球に衝突する前に宇宙空間で核ミサイルによって破壊することだけと思われる。その意味で中国は二回目の月周回衛星の打ち上げに成功して着々と月基地の建設をすすめようとしているので、日本は1回目の月周回衛生かぐやでは先んじていたが、月の資源を確保するためにもかぐや2号機を早く打ち上げるべきだと思う。核武装する金があれば月基地建設で中国に先んじることが必須である。
2010年10月1日金曜日
恐らく、ニーチェは間違っている。
恐らく、ニーチェは間違っている。イエス・キリスト処刑後、わずか30年余りでローマ帝国の暴君ネロはキリスト教徒が美徳として飾り立てた弱者の粉飾物のために偉大な哲学的建造物であるギリシャ・ローマ神話の神々とともに滅びてしまった。第二次大戦後、軍事技術が先端技術を推し進めると言われ、原水爆開発、宇宙開発に鎬を削ったが、弱者の国の総理大臣の池田勇人がフランスを訪問してドゴール大統領と会見後、トランジスタ・ラジオのセールスマンと揶揄されても平和技術が先端技術を推し進めるようになった。農村のピックアップ・トラックであるトヨタ・ハイラックスがアフリカのチャドの内戦で政府軍に使用されて荷台に対戦車ミサイルを載せて、反政府軍を支援していたリビアのカダフィ大佐の戦車隊を迎え撃つことに成功した。その後カダフィ大佐は核武装をあきらめることになる。米国の軍事技術は日本の平和技術に敗れ去ってはいないが互角の戦いだと思う。アップルのiPODは軍事技術ではないが、ソニーのウォークマンが抜き返す可能性がある。美徳として飾り立てた蝶の舞が蜂のように強者の鎧の隙間を刺すことも多い。中国を統一した強大な隋は高句麗遠征で簡単に敗れ去った。小さな昆虫でも巨大な恐竜でも生き残るのは費用対効果の見極めと小沢一郎氏が青春時代に見た映画「山猫」の中のせりふ、今までと変わらず生き残るためには私たちは変わらなければならないということです。
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